2023年6月18日。
出産予定日である7月2日まで二週間。このタイミングでこのブログをスタートさせようと思う。
数十年後、夫婦で振り返る子育て日記として。また、子供が大人になったとき、親がどういう想いでこの世に生を受け、子供に接してきたかを感じてもらうために記録を残す。
時を遡ること9ヶ月前。2022年の10月、妊娠の可能性があることがわかった。結婚して5年が過ぎ待望の妊娠だった。ここに至るまでには長い道のりだった。白山のレディースクリニックに通うこと一年余。なかなかうまくいかずセカンドオピニオンを兼ねて大宮のクリニックにお世話になること二年。その間、妻は本当に大変だったと思う。頑張った。僕もできるだけ病院に同伴するなどのサポートはしていたつもりだが、本当に妻に寄り添えていたかというと、今振り返ってみると反省することは多い。食事に気を使い、サプリメントを飲み、月に二回ほど病院に通う。そうして迎えた妊娠の兆候だった。
妊娠の可能性があると知ったときの心境だが、もちろん嬉しかった。ただ、嬉しさよりも不安の方が勝っていた。このまま無事成長してくれと願う気持ち。妊娠にぬか喜びすることはなく、努めて冷静に、最悪のことも様々に想定しつつ、とにかく無事を祈る気持ちが強かった。父になる不安や経済的な不安、僕自身の年齢の不安、それらも少なからずあったが、それらよりもとにかく無事に、無事に、順調に、順調に、という想いが勝っていた。
11月に入り妻はつわりが始まった。出産したばかりの友人から事前に情報を聞いており、「つわりが始まる前に、今週末焼肉に行きたい!」というので、今週末まで待つことなくその日のうちに焼肉に行った。11/2、祝日前の夜だったと思う。結果は滑り込みセーフだった。ナイス判断。翌日からつわりとの格闘が始まった。りんご、きつねうどん、マックのポテトとナゲット、おかゆのローテーション。吐き戻すことは少なかったが、何せ食べられるものが少ない。何度もイオンのマックに自転車こいだし、夜中にうどんを作ったこともあった。「二ヶ月、年末ごろには食べられるようになってるって」と声をかけていたが、年末年始もその状況は続いていた。
1月に入ってようやくつわりが落ち着き、戌の日の安産祈願で鴻神社へ。ちょうど一年前にお参りしていた神社に感謝の気持ちを伝えに行ってきた。コウノトリが運んで来るなんて昔からいうが、子宝に恵まれるということは本当にそういうことなんだと感じた。
2月に入って麻布にある愛育病院の診察に立ち会うことができた。エコー写真で子供の姿、形を見ることができた。先生は次々と主要な部分を確認していく。「心臓はきちんと左右に分かれていますね」。心房、心室、はっきりと4つに分かれ鼓動を打っていた。「1.2.3…5本ありますね」、手足の指の本数も確認。脳も左右にきちんと分かれている。初めて見たとき涙が溢れた。ずっと抱えていた不安。無事、順調にと願ってきたものをこの目で確認することができたからだ。この頃赤ちゃんは700gほど。
万が一、障害が検査で見つかったらどうしようか。妻とは検査前に話し合った。妻は言った。「もし障害を持っていた場合、出産までの時間で準備ができる」と。同意見だった。産まれてくる子がどんな子でも、それを受け入れよう。心の準備もそうだし、何か買い揃える必要があるならその準備をしようと考えた。もちろん五体満足、元気な子供が産まれてくれることを望んでいる。だが、それ以上に母子ともに無事にこの世に生を受けてほしいという想いが強かった。
2月の中旬、エコー検査で女の子の可能性が高いとわかった。わかってから約一週間後の2/24、義父母とのLINEグループに「服は十分数が揃ったのでいったん購入をストップしようと思います」と伝えた。義母も僕らもわずか一週間あまりで、あれもこれもと衝動買いしてしまったからだ(笑)。特にラルフローレンの子供服が抜群に可愛いくて、財布の紐はガバガバに緩んでしまった。ちなみにストップと言っておきながら、その後も自制をすることができなかったのは反省点。これからお金が必要だというのに気持ちは先走ってしまっていた。3/18には妻の友人に会いに御殿場にも行ったが、その時期まで結局毎週何か買っていたと思う。
妻のお腹が目立つようになった33週目、5/16の検診では2200g。5/27の検診では2424g。6/7の36週目では2634g。6/13の37週目には2934g。早産のラインを超えて、いつ産まれてきてもおかしくない状況で今を迎えています。赤ちゃんは順調。とにかく無事に、母子共に無事に。その想いだけです。
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